22│2022年05月29日 復活節7 キリストの昇天

週 句 元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。
聖書    使徒27章22節
説 教 「泣く者と共に?」 草苅祐子
聖書    ローマ12章1~18

「敵を愛するための勧め」 高橋牧師
 本日は信徒説教ですが、説教者は「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」という有名な一節を含んだ箇所を選んでくださいました。その教えの美しさに惹かれるからでしょうか、大変よく愛されている箇所です。
 ところがこの言葉は同時に、それを実践することの困難さを身につまされる聖句でもあります。特に、競争社会である現代世界においては、他人の不幸は蜜の味です。あるいは、膨大な数の残酷なニュースが、私たちを無感動にしています。また、日本では古くから「足の引っ張り合い」などということもよく言われます。そもそもこの言葉は聖書の文脈においても、自分のことを「迫害する者のために祝福を祈る」ためにはどのように行動するかという勧めです。「共に喜び、共に泣く」時に、初めて本当の意味で「敵」を祝福できるのだというのです。これが簡単なはずがありません。
 私はルカ福音書15章の放蕩息子のたとえ話が大好きです。ところで兄息子と弟息子は、いかにも「共に喜び、共に泣く」ことの難しそうな人たちです。実際、兄息子は弟息子の帰還と、そのために父が催してくれた宴会を全く喜んでいません。それどころか怒りだしてしまいます。その批判(攻撃)の対象は、弟だけでなく、使用人たちや父(にたとえられた神様)でもあったでしょう。兄息子は自分に向けられた父(神様)の愛に気がつかないのです。神様の招きはこの兄と弟が真の兄弟となって再び一緒に住むことであったでしょう。しかし福音書は、そのためにはどうしたら?を全く記さずに、読者に委ねています。おそらくこの2人ともが神様の愛を体験する必要があるのです。私たちは「敵」と見える人とも、同じ親なる神様に愛されているという存在として、人々と出会うように招かれています。私自身、これを心痛みながら書くのですが、私のような者のために祈りという道が備えられているのでしょう。こんな私の存在を皆さんは、共に喜び、共に泣いてくださるでしょうか?