19│2022年05月08日 復活節4 キリストの掟

週 句 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。
聖書    使徒20章32節
説 教 「あるいは建て、植えるために」 高橋牧師
聖書    エレミヤ書1章7~10節、17~19節

「神の子の権威」
 説教で久しぶりの旧約聖書は、エレミヤ書を開いてみたいと思います。年若い時に召命を受けた預言者エレミヤは、私にとって親しみ深い聖書の人物のひとりです。しかしそれは私が若くして牧師になったからではありません。その前から、キリストを信じる者のひとりとして、自分の人生に語りかけてくれる言葉として好きなのです。キリストを信じる者とされ、全生涯を通してキリストを証する使命に生きることは、教会に集う私たち皆の召命です。
紀元前7世紀の古代オリエント世界が大きな変動を迎えた時代に、エレミヤは神様から諸国民の預言者として召されることになりました。現代でもそうですが、混乱の時代に生きていると、ひとりの力、少数者の声は非常に小さく無力であるように思えます。しかもエレミヤはまだ年若く、召命に応え得るような十分な経験や能力がない、自分には何の資格もない、と考えたのでしょう。エレミヤは主の呼びかけに尻込みして、(より直訳に近づけると)「ああ、見てください。私は語ることができない」と嘆き、拒みました。私たちならどう答えるでしょうか?私たちも、神様に対していつでもこの時のエレミヤのように答えるために、たくさんの言い訳の引き出しを持ち合わせているのではないでしょうか。
 エレミヤに対して、神様は「若者にすぎないと言ってはならない」とお命じになりました。ヘブライ語の「若者」には「子」という意味もあります。私たちは皆、神様に愛をもって造られた神の子どもです。若者や子どもは無力の象徴のようでもありますが、神の子どもは神の永遠の愛の対象なのです。そのことを過小評価してはならないでしょう。神様はエレミヤの状況も、私たちの現実も、しっかりとご存知です。それなのに「母の胎から生まれる前」(5節)から召したのが神様です。私たちは皆、神様の「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」という約束によって、神の子どもとしてのいのちを精一杯に生きるのです。