17│2022年04月24日 復活節2 復活顕現

週 句 神はわたしたち一人一人から 遠く離れてはおられません。
聖書    使徒言行録17章27節
説 教 「だれがあの石を転がしてくれるのか」高橋牧師
聖書    マルコ16章1~8

「恐れて終わる福音書」
 今年に入ってから『聖書教育』誌に準拠してマルコによる福音書を読み進めてきました。今日の箇所は、マルコによる福音書の結末部分です。なお、16章9節以降は後代に書き加えられたことがわかっており、礼拝で用いている新共同訳聖書でも〔かっこ〕が付されています。
 つまり、本来のマルコによる福音書の締め括りは、何とも歯切れの悪いものなのです。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(8節)と。
 もちろん、それはそれとして私たちは、9節以降、あるいは、他の3つの福音書が描く復活や弟子たちの派遣の物語を大切に読むのです。しかし、私たちは聖書を愛するならば、それと同じくらい、元来のマルコによる福音書が伝えようとしたメッセージを大事にしてよいと思います。
墓にご遺体がないのを見て、逃げ去り、震え上がって茫然自失となり、何も言えず、恐ろしかった婦人たちの姿で終わる。この不思議な福音書のメッセージとは、今日をここで生きる私たちが、その時々に祈り、聞き取るものです。これは何を意味するのだろうかと、思いを馳せ、耳を傾け、私の心に語りかける主の御声をきき取ること。それはキリストの弟子として生きる私たちに課せられた使命でもあります。なぜなら、イエス様は、復活なさって、かねて言われていたとおりガリラヤでお目にかかれる(6~7節)のに、私たちもまたこの婦人たちと同じように、いつも恐れながら生きているからです。
今日の箇所から、さまざまな黙想へ導かれることができます。今の自分にとって、この教会にとって、現代を生きる私たちにとって、墓とはどこなのだろうか。あるいは、墓の入り口に転がされていた石とは何だろうか。私にとってのガリラヤはどこだろうか?
 今日の皆さんはこれらにどうお答えになりますか?