29│2021年07月18日 聖霊降09 異邦人の救い

週句 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。
   ヤコブの手紙3章17節
説 教 「そのとき、癒された」牧師:高橋周也
     マタイ8章5~13節

「そのとき僕は癒された」
 吉田満は、アジア太平洋戦争末期、特攻隊として戦地に向かう途中で戦艦大和に乗っていた人物です。果たして艦は目的地を前にして、米軍による攻撃を受け海に漂流し、その結果吉田は奇跡的に生還。吉田にとって、終戦後世間の多くの人は、戦時中の自らの行いを正直に振り返ることなしに、戦争や軍隊に関わる一切の事柄を否定さえすれば平和主義者になれると安易に考えているようでした。そんな世間に抗い、吉田は『戦艦大和ノ最期』を著します。「あとがき」にこのようにあります。「戦争を一途に嫌悪し、心の中にこれを否定しつくそうとする者と、戦争に反撥しつつも、生涯の最後の体験である戦闘の中に、些かなりとも意義を見出して死のうと心を砕く者と、この両者に、その苦しみの純度において、悲惨さにおいて、根本的な違いがあるであろうか」。こうした言葉から、戦争に巻き込まれてしまった若い軍人たちの生と死が「平和」の名のもとに覆い隠されてしまっている現実にハッとさせられます。
 その吉田がキリスト教信仰を得たのは、著書の草稿の読者であった神父とのであいによってでした。その日、神ともキリストと言うこともなしに、ただ吉田に向き合おうとした神父の姿に、吉田は「初めて、自分の苦衷を汲み共に進んでくれる人に逢えたよろこび」を与えられます。それは「神の息吹」とさえ感じられました。そこから「この現実の世界の中で、何に対し何を証しするかの命題を負う」という吉田のキリスト信仰が始まっていったのです。
 さて本日の聖書に登場する百人隊長は、「わたしの僕(=「我が子」とも訳せる)」のためにイエス様に助けを請いました。彼にとってどれほどその存在が大切だったことでしょう。その時、「僕」は癒やされたのです。
私たちにとって、「わたしの僕」はどこの誰ですか?