27│2021年07月04日 聖霊降07 祈り

週句 
この御言葉(みことば)は、あなたがたの魂(たましい)を救(すく)うことができます。御言葉を行う人になりなさい。
ヤコブの手紙1章21~22
説 教 「どうか聞いてください」牧師:高橋周也
   歴代誌下6:12~21

「神様のレシピに必要な調味料」
 最近、私の愛読する月刊誌『カトリック生活』2021年7月号に掲載された古巣(ふるす)馨(かおる)神父の寄稿に深い感動を覚えました。ある五島の若い漁師が、祈りに生きる修道院のシスターたちを「鰹節のごと味のある人たち」と呼ぶそうです。
 鰹節を作る時、鰹(かつお)は捌(さば)かれ、熱い湯で煮られ、煙に燻(いぶ)され、天日干しされ、なんとカビを付けられて、乾燥され、熟成されていき・・・まだ終わらないのです。その後もまた何度も天日に干されると、今度は削られることになる。小さくされ元の姿を失った時、ようやく素晴らしい風味をもち、他の具材を引き立てるお出汁になります。神父さんはこのように書きました。「姿をなくしたとき、人はその深みと豊かさの元を尋ねるのです」と。
 さて神学校週間に寄せて考えてみますと、鰹が自由に暖かい南の海を泳いでいたと思っていたところから急に引き揚げられるように、人生には思いも寄らない出来事が飛び込んできます。もちろんそのことは直接献身を志す者の歩みにおいても決して例外ではありません。むしろその旅の途上においてこそ、ときに試練に遭遇し苦悶します。その期間の長短や出来事の意味は「鰹」(人)にはわからないのですが、鰹節の「作り手」(神)はそれらのことをご存知です。どのような歩の進め方になったとしても、今、神という職人が手塩にかけてこの人を作ってくださっているのだ、どんどん味わい深くされていく時なのだと、誰かが一緒に信じて祈り受け止めてくれるだけで、人は生き、変わり続けることができます。教会は特別にその使命を与えられた仲間です。私たちは共に労苦するならば、やがて御国にて主の食卓に招かれた際、その実にも与らせていただけることでしょう。神学生たちを覚えて祈りましょう