24│2021年06月06日 聖霊降03 悔い改めの使信

週句 

あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒(こば)む者は、私を拒(こば)むのである。
ルカ10章16節
説 教 「もっとねきーこられー」牧師:高橋周也
     マタイによる福音書3章1~6節

「悔い改めよ、天の国は近づいた」
荒れ野で叫ぶ洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の姿は、2000年前のユダヤの人々にとっても、異様なものと映ったに違いありません。彼は昔の預言者の格好をすることによって神の民の歴史を身をもって示し、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝えつつ、多くの人にバプテスマを授けました。
バプテスマのヨハネは、「問う人」であったとも言えます。なぜなら彼が荒れ野にいた理由は、おそらく主を求めて修養していたからです。これは旧約聖書の伝統にもあることでした。また、より直接的に聖書に描かれていることとしては、今日の箇所から少し後のところ(マタイによる福音書11章)になって、イエス様に問う場面があります。バプテスマのヨハネはときの王に捕らえられて牢に入れられ殺されてしまうことになりますが、獄中からイエス様につかいを送って、「来るべき方はあなたなのですか」と聞いたのです。ひょっとしたら、イエス様はバプテスマのヨハネが思い描いていた通りの方ではなかったところがあったのかもしれません。彼は、宣べ伝えると同時に問い続ける人でありました。
実は、バプテスマのヨハネが宣べ伝えた「悔い改め」は、「問い続ける」ことと一つのことです。
私たちは今、「新しい生活様式」「緊急事態宣言」という“荒野”、あるいは“牢”の中に投げ込まれています。私たちは、この時代、この地に立たされた者として、バプテスマのヨハネの姿を見、その言葉に聞くよう招かれています。そうしてみるとき、これまで根ざして来たことが徹底的に命をもって、わたしたちに迫って来るのではないでしょうか。「悔い改め」には、新しい時代に向かって大胆に踏み出していくための力があるのです。