23│2021年05月30日 聖霊降02 神の富

週句 

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
コリントの信徒への手紙二  13章 13節
説 教 「命の現場にいることをわたしたちは知らない」
創世記28:10-19

「見よ、主が傍らに立って言われた」
ヤコブは母の愛を利用して兄を裏切り、眼が不自由になった父を騙して、相続の特権を手に入れようとしました。そのために兄から憎まれ、家には居られなくなり、逃げ出してきました。孤独なさすらい人ヤコブは、ここで神との出会いに導かれます。自らの行いによる罪とはいえ、苦しく辛い人生を生きる者がほんのひと時の眠りを与えられる夜、主は夢を通してヤコブと出会ってくださいました。
「見よ、主が傍らに立って言われた。」(創世記28:13)・・・この「傍らに」を新しい協会共同訳は「そばに」と訳しました。そして、ヘブライ語本文では「彼の上に」立っているので、ある人は「向かい合って」とも訳します。そうすると、石を枕に寝ているヤコブを見つめる主なる神様というイメージがより豊かにされる気がします。神様はこれまでのヤコブの人生を真正面から見つめ続けて来られたのです。
意外なことに、主なる神様は、ヤコブの罪を非難したり??りつけたりすることはなさいませんでした。神様はヤコブに「御心を告げるために出会った」のであり、「私はあなたの神である」、祖父アブラハムに与えた祝福の約束は「今なお委ねられている」と仰せになるのです。ヤコブのことを不問に処すというのではありません。「あなたがどこへ行っても」とは、ヤコブが何故どこかへ行かなければならなくなったのかという問題を言外に含むからです。
「ここはベテル(神の家)だ!」そう気づいた時、その畏れが私たちに生きる意味を与えます。私たちは、今どこへ向かって旅をしているでしょうか?何のために生き、何のために苦しみ、何のために旅を続けるのでしょうか。「それは私のためだ」と主は私たちの真正面から私たちを見つめて、そうおっしゃるのです。  高橋周也