37│2020年09月06日 聖霊降臨15 新しい人間

週    句

わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのはわたしにしてくれたことなのである。
マタイによる福音書25:40
説  教  「新しい人間」

出エジ13:17~22、エフェ5:11~20、ヨハ8:12~20、詩編98:1~9。

「光の子として歩みなさい」(エフェソ5:8b)という言葉は、多くのキリスト教幼児施設で大切な聖句として受け継がれてきたことでしょう。「光の子として歩む」ようにとの勧めの直前で「以前は暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています」(5:8a)と言われているように、「あなたがた」という存在が光そのものであるということ、その光とされた者がいかに主に従って生きるか、という問いが5章の前半部分で語られていきます。
5章では「光」と「闇」の他にも「愚かな者」と「賢い者」(15節)との対比もなされます。これらの言葉から、ヨハネ福音書においてその冒頭からなされる「光」と「闇」という記述を思い起こすと同時に、「わたしは光である。私に従うものは暗闇を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)とのイエスの言葉が響いてきます。
世の中が混乱する中で、私たちは不安を覚え、心が騒ぎ、そこから生じるいら立ちを他者に向けてしまうことがしばしばあります。差別や排除が助長され、弱い者がさらに弱くされていく。私たちはこのようなことが起きうることをこの約半年の間実感させられて来ました。しかも、その当事者としての姿を持ち合わせていることを覚えないわけにはいきません。
様々な要因により人の心が闇に支配される時、されそうになる時、「世の光」としてこの世に来られ、人間一人一人の存在を招き、「主にあって光となる」ように導き、光の子として歩ませてくださる主イエスの業を心に刻んでいきたいと思います。この私が光とされる、そして同時にわたしの隣人も同じように光とされている。この光として命が輝く様を共に喜び合いたいのです。その喜びを分かち合い、ともに感謝して生きるところに、主のみ心が示されていることを信じつつ歩むものとされたいと願います。
「礼拝と音楽」より