31│2020年07月26日 聖霊降臨9 破局からの救い

週    句

あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属するもの、神の家族です。
エフェソの信徒への手紙2:19
破局からの救い
イザヤ43:1~13、使徒27:33~44、ヨハ6:16~21、詩編54:3~9。

古代の航海が今日の航海よりもはるかに危険に満ちていたことは今更言うまでもありません。旧約の時代のヨナの船旅、ガリラヤ湖の上で嵐に巻き込まれる舟等々、聖書の様々な場面が思い浮かびますし、海が神と敵対する竜の住む所と認識され、また陰府を象徴するものとされてきた言葉などを見出します。
パウロはその宣教旅行において船旅を繰り返してきました。福音を宣べ伝えるために出立する中で、聖書には書かれていない危険に遭遇したことも一度や二度ではなかったでしょう。そして今回の船旅は、囚われの身となったパウロが他の囚人たちと共に護送されるためでした。着く先に何が待ち構えているのか、決して先行き明るいものではないことを悟らずにはいられません。その船が嵐に巻き込まれるとは、宣教者が直面する数多の困難を象徴するようでもあります。
しかしここでパウロは主体的に、かつ極めて前向きな姿勢で人々に働きかけます。意気消沈する人々に対し、「生き延びるために必要だから」と食事を勧め、「頭から髪の毛一本もなくなることはありません」と励ますのです。
そして一同の前で「パンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ」る。それは主イエスがかつて人々の前でパンを分け与え、皆が満たされたことを想起させます。この嵐のただ中に主イエスが共におられる、神の守りがあるという確信が、パウロを突き動かしていたのでしょう。
一人の人間の人生の旅路、しばしば舟に喩えられる教会の歩み、その一つ一つもまた時に嵐によって吹き飛ばされてしまいそうになるようなものかもしれません。しかしその船旅に、旅路に主イエスが共におられるという確信に立つ時、私たちは恐れながらも前を向くものとされ、悲しみが喜びに、絶望が希望に変えられていくものではないでしょうか。
「礼拝と音楽」より