30│2020年07月19日 聖霊降臨8 復活の希望

週    句

恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書43:1
説  教 「私だ。恐れることはない。」:片山寛牧師
ヨハネによる福音書6:16~21

復活の希望
ミカ7:14~20、使徒24:10~21、ヨハ5:19~36、詩編96:7~13。

エルサレムの神殿の境内で逮捕されたパウロは、カイサリアへと護送され、総督フェリクスに対する訴えが起こされます。すでに様々な人々がパウロの命を狙い、陰謀が渦巻いていた中での護送、告発であり、舞台は使徒言行録の最後の部分、エルサレムからローマの途上にあります。
パウロはここで疫病のような人間であり騒動を引き起こす者、ナザレ人の分派の首謀者、神殿の冒涜者との罪状を着せられていますが、総督フェリクスの前で堂々と弁明を行います。ルカ文書に顕著に表れる「弁明する」という言葉は、裁判制度に由来する述語で、キリスト者であるが故の敵意と拘留が前提なっているとされます。パウロとしては身の危険が迫る中でなされるこの「弁明」は、まず法廷における自らの無罪の立証のためになされますが、それにとどまらず、キリスト教信仰の核心について語る、宣教としての要素を持ったものとして進んでいきます。それはこの出来事の舞台設定を考えると驚くほかはないものでありましょう。
「あなたのような神がほかにあろうか 咎を除き、罪を赦される神が」(ミカ7:18)と予言者が語るその言葉を信じるパウロは、「『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました」(使徒22:8)と人々の前で語る通りの体験を通して、かつての迫害者から福音を宣べ伝える者へと変えられていきました。弟子たちが、その姿変えられ、宣教者として遣わされていった、復活の主イエスとの出会いにも通じるものを見る思いがいたします。復活の主が私に語りかけ、この私を赦し、私と共におられる。そのことを信じる時に、パウロは危機の中にあっても大胆に語りました。私たちもまた、それぞれの形で、主共にいます幸いと喜びを語り、希望に生きる信仰者としての歩みをなしていきたいと思います。
「礼拝と音楽」より