28│2020年07月05日 聖霊降臨6 異邦人の救い

週    句

互いに、重荷を負い合いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
ガラテアの信徒への手紙6:2
説  教  「異邦人の救い」

ヨナ4:1?11、エフェ2:11~22、ヨハ4:27?42、詩編126:1?6。

ニネべの町を滅ぼすことを中止した神の決定に大いに不満を覚え、怒りを露にするヨナに対して、神は「この大いなる都ニネべを惜しまずにいられるだろうか」と語りかけます。あまりに正直なヨナの反応は潔いと感じるほどですが、ヨナ書という短い書物の結びは、偏狭な民族主義に対する痛烈な風刺として読み取ることができます。
そして今、排外主義、自国優先主義がはびこるこの世界、この国の状況の中で、エフェソの信徒への手紙2章において語られる言葉は、燦然と輝く光を放っているように思えてなりません。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります」と宣言されるキリストによって、隔ての壁が取り壊されていきます。相互の不寛容や選民意識、敵意が滅ぼされていきます。そしてバラバラになっていたものが一つとされ、和解と平和が実現していくのです。
しかし同時に、「かなめ石はキリスト・イエス御自身」、「キリストによって」、「キリストにおいて」という言葉を、キリスト教こそが絶対であるという視点で読むならば、先の宣言はすべて無に帰すと言っても過言ではないでしょう。私の隣には私とは異なる別のもの、別の何かを大切にしておられる人がいるということを私たちは心していかねばなりません。
昨年亡くなられた医師の中村哲さんは「『共に生きる』とは美醜・善悪・好き嫌いの彼岸にある本源的な人との関係だと私は思っている」と記されました。(『天、共に在り』より)。キリストによって実現される「平和」とは、争いのない時がもたらされるということにとどまらず、異なる他者が共に出会い、互いに平和な関係が結ばれていくということを意味するのではないでしょうか。私たちは聖書が告げ知らせる和解と平和の福音に聞きながら、多様な出会いの中で平和を築き上げる歩みへと踏み出すものとされていきたいのです。
「礼拝と音楽」より