27│2020年06月28日 聖霊降臨5 天のエルサレム

週    句

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。
ルカによる福音書19:10
説  教  「天のエルサレム」

ミカ4:1?7、ヘブ12:18?29、ヨハ4:5?26、詩編84:2?13。

ヘブライ人への手紙12章では、旧約の時代と新約の時代を比較しながら言葉が紡がれていきます。その対比とは「モーセ、シナイ山」に対して「イエス、シオンの山」という形にまとめることができるでしょう。
天のエルサレムという目標を目指して前進しようというテーマは、「自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」という、12章冒頭の言葉を思い起こさせます。この地上におけるキリスト者たちの歩みについて問いかけを受けていきます。
旧約と新約の対比ということを考えると、裁きが頻出する旧約に対して、愛の満ちた新約というイメージが先行することがあるかもしれません。しかし、その対比は例えば「裁き」と「愛」というような分断されたものを描くものではなく、創造主なる神の御業の中に生かされる者たちに約束された救いが主イエスにおいて一つの形になって現れたという、神の救いの歴史の継続を私たちに示すものとして受け止められます。「アベルの血よりも立派に語る注がれた血です」との言葉は、当時の迫害下に生きる人々に対して語りかけるという意図がありますが、いつの時代に生きる者たちに対しても、この神の救いを示す主の贖いの業として指し示されていくものではないでしょうか。
この箇所の結びは「実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です」というものです。後味の悪い終わり方に見えるかもしれませんが、ここに意味があると思います。神の恵みと厳しさが共に示されていく中で、この裁かれるべき、裁かれる他ないはずの私たちが神の恵みと慈しみの中に生かされ、天のエルサレムへの希望と喜びを抱きつつ歩むものとされるという恵みのメッセージを与えられるのではないでしょうか。この神の御業に触れることを通して、私たちが畏れつつ神に仕える歩みへと招かれていくことを覚え、感謝と信頼のうちに歩んでまいりたいと願います。
「礼拝と音楽」より