23│2020年05月31日 聖霊降臨1 聖霊の賜物

週    句

武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。
ゼカリヤ書4:6
説  教  「聖霊の賜物」

聖霊の賜物
エゼ37:1~14、使徒2:1~11、ヨハ14:15~27、詩104:24~30。

五旬祭の日に突然一同が聖霊に満たされるという聖霊降臨の出来事を描いた使徒言行録2章は、ペンテコステにおいて繰り返し読まれ続けています。初代教会の歩みの原点が聖霊に満たされるという体験にあるということは、その成立の背景が異なることを考慮に入れつつも、ヨハネ福音書20章でイエスが弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われた出来事を想起させます。
「聖霊」と「風」、「息」が同じ言葉で表現されることはよく知られていますが、この2章で「(激しい)風」と「聖霊」は由来が同じの、少し異なる言葉で表されています。そして2節の「風」を現す語は使徒言行録17章25節において、すべての人に命と「息」と、その他すべてのものを与えてくださるのは創造主なる神であるとパウロが語る際に用いられています。
神は人間を創造された際に「命の息」を吹き込まれました(創世記2:7)。聖霊が降るその出来事の中で、まず激しい風が吹くような音が聞こえたということは、造られた一つ一つの存在が宣教の業に召し出されていくに際して、生命に対して働きかける神の業が示されている様を見る思いにさせられます。
使徒言行録の物語が描き出されていった時代、初代の教会は厳しい追害にさらされ、「生命」とは反対に位置づけられる「死」が身近に存在していたことを想像します。その初代の教会の歩み出しの中に、神が生命を生かすための「息・風」を示し、そこから人々が聖霊に満たされていったという出来事は、神が私たちをどのように生かし、招き、用いられるかということを大胆な形で表現しているのではないでしょうか。「枯れた骨」という人の目には生命からあまりにかけ離れた存在に語りかけ、「お前たちの中に霊を吹き込む」(エゼキエル書37:5)と働きかけられる神の業の中で、私たちそれぞれの働きが委ねられていくのです。
「礼拝と音楽」より