18│2020年04月26日 復活3 復活顕現2

週    句

私は良い羊飼いである。私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らに永遠の命を与える。
ヨハネによる福音書10:11、27、28
説  教  「主が立っておられる」   :柳野知加

復活顕現2
イザ61:1~3、Ⅰペト1:13~25、ヨハ21:1~14、詩145:1~9。

イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。             ヨハネによる福音書21:13
ヨハネ福音書は20章までが一つのまとまりとして完成した後、補遺という形で21章が付け加えられたと言われています。ティベリアス湖にて、ペトロをはじめとする弟子たちが主イエスと再会した場面。復活の主はエルサレムで、またガリラヤでその姿を現された、2種類の伝承があったとされますが、福音書は多様な形で主の復活顕現を描き出しています。イエスの指示による大漁は狭義の「伝道」の意味として、「パンを取って弟子たちに」(13節)という言葉は6章と共に聖餐に関連づけてしばしば読まれると思いますが、ここではまた別の視点で見てみたいと思います。ガリラヤ地方、湖は弟子たちの幾人かにとってはかつての生活の場、生業の場でありました。「わたしは漁に行く」というベトロの言葉は、かつて何度も繰り返されてきた言葉だったことでしょう。不漁に見舞われるということも少なからずあったことも想像します。それは彼らの日常の場面そのものでありました。イエスに従った後も、5000人の「共食」物語、湖の上を歩くイエスとの出会いと、奇跡の場面ではありますが、イエスと共に歩んだ日常の日々の場面としてガリラヤ地方と湖が出てきます。復活の主イエスはこの日常の場面にその姿を示されました。そして食事を共にする。一人一人の生の現実、日常の歩みの中に主イエスは共におられ、その日々の中から一人一人が新しく生かされていく。復活の主との出会いを通して私たちが与えられる力がここにあります。その力に満たされた一人一人が喜びに溢れ、「あなたの輝き、栄光と威光驚くべき御業の数々をわたしは歌」う(詩編145・5)ものとされていくのです。
「礼拝と音楽」より