11│2020年03月08日 降誕5 メシアへの信仰

週    句

キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマ人への手紙5:8
説  教  「網を降ろして漁をしなさい」:西原 寿

メシアへの信仰
列王下6:8~17、エフェソ5:6~14、ヨハ9:13~41、詩18:26~35。
ヨハネによる福音書9:39
39イエスは言われた。「私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えないものは見えるようになり、見えるものは見えないようになる。」

名前さえも記されない目が不自由であった一人の人。「生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか」。弟子たちのあまりに無神経な問いですが、おそらくこれまでの人生で何度もこのような言葉を投げかけられ傷ついてきたことでしょう。しかしイエスは「罪」の故であるというような視線をこの人に投げかけません。「神の業がこの人に現れるため」というイエスの言葉は、「何かがあったはずだ」という過去への関心ではなく、現在から未来への関心、新しい人生の道が開けていくというようにという視点の転換をもたらすものとして語られていきます。
こうしてイエスの癒しを受け、この人は変えられていくのですが、彼には別の過酷な歩みが待ち構えています。この出来事をよく思わない人々によって両親との関係は壊され、さらには詰問され追放という憂き目にも遭わされていくのです。この迫害の様はヨハネの時代の教会の状況にもなぞらえても言われていますが、凝り固まった価値観から脱却しない人々の偏狭な姿勢は、今日の世界の状況(当然教会も!)や現実を浮き彫りにしているようでもあります。
しかしこの人は怯まず、宗教指導者たちにかえって教える言葉さえ語るのです。一人の人が癒される出来事そのものもそうですが、イエスに出会ったというこのことが、癒しを越えて人が変えられていく、そして「主よ、信じます」との信仰が告白されていく様に、わたしたちはもう一つの奇跡をみるのではないでしょうか。「礼拝と音楽」より