10│2020年03月01日 降誕6 荒れ野の誘惑

週    句

悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。
Ⅰヨハネの手紙 3:8b
説  教  「イエスさまもまた試みを受けられた」:井東 元

荒れ野の誘惑
出エジプト17:3~7、ヘブ4:12~16、マタ4:1~11、詩91:1~13。

マタイによる福音書4:4
4イエスはお応えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

信仰の歩みとは、この世の誘惑や試みから遠ざけられたところに身を置くとか、神がそれらをすべて遠ざけてくださるという事を意味しません。むしろ、神の御前に自らの弱さに幾度となく気づかされ、うち砕かれ、悔い改めて新たに歩み出そうとすることの繰り返しと言えます。その意味では「自分は大丈夫」と自信満々に生きるのではなく、誘惑渦巻く世にあっていかに主を愛し、主に仕え生きるのかという問いの繰り返しの中で生きるということでしょう。
荒れ野で出エジプトの民がことあるごとに不平をぶちまけたように、私たちの信仰はいとも簡単に揺らぎ、心が神から離れさえします。しかし、誘惑を受けられた主イエスが共に歩んでくださるとの知らせの中で、私たちの歩みはたどたどしいながらも確かにされていきます。そして主が誘惑の言葉を退けられた際に聖書の引用をされたことから、日々聖書の御言葉に聞く者としての私たちの歩みが整えられていくのではないでしょうか。
あわせて、この日本の1年の歩みを振り返り、十戒第一戒の言葉が問うことの意味も考え、神でないものを神とする動きに抗い、「ただ主に仕える」キリスト者としての歩みを心するものでありたいと思います。                    「礼拝と音楽」より