11│2018年03月11日 復活前3 主の変容

週    句

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネによる福音書 12:24
説  教    「〈これ〉に〈聞け〉!」  :梅田 環

主の変容
出24:12~18、Ⅱコリ4:1~6、マコ9:2~10、詩27:7~14。

すると、雲が現われて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
マルコによる福音書 9:7

 モーセとエリヤに挟まれ、光り輝くイエスの姿を目撃した弟子たちは喜び溢れ、この栄光を永遠に留めおき、自分たちもここに留まりたいと願った。しかし、その光景は長くは続かず、気づけば、いつものみすぼらしいイエスがいるだけであった。
 イエスは神と共にある場「山」に留まろうとはされない。弟子たちは「山」こそ救い主たる神の子にふさわしい場所であり、山を下りるべきではないと考えたのであろう。しかし、イエスは躊躇なく下山する。弟子たちは後ろ髪を引かれつつ、谷へと下る。イエスと共に下りきったところは山上とは全く逆の場所。山上は神のおられる場所、光り輝く場所、あらゆる悩みから解放された場所。一方、地上は、暗闇、病と死、苦しみ、悩み、争い、恐れ、に満ちた場所。下山したイエスを待っているのは、イエスの敵対者たちや苦しみにあえぐ人々である。天から地に下ったイエスの生涯はまさに下り続けるものだった。神の住まいではないと思われていたところに赴き、傷ついたいのちを回復する道を選ばれた。
 地はあらゆるいのちあるものが生きる場所。その地を、神は人間に任された。土地授与には、人々が神からの戒めに従わなければならないとの条件がつけられている。その条件とは、神の祝福を保つということ。東日本大震災より7年目を迎える今日、神のいのちと恵みの管理者であるわたしたちは、どのように生きているだろうか。被造物の呻きと、隣人の声にならない叫びに無関心になり、務めを放棄してはいないだろうか。主に倣い、地を生きるわたしたちになろう!