02│2018年01月07日 降誕節2  エルサレム訪問

週    句

神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
ローマの信徒への手紙 8:14
説  教    「三日の後、イエスを見つけた」   :梅田 環

エルサレム訪問
ゼカ8:1~8、Ⅰテサ2:1~8、ルカ2:41~52、詩89:2~15。

三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを見つけた。
ルカによる福音書 2:46

 クリスマスが過ぎた今、わたしたちは、お生まれになったイエスさまがどこにおられるのかと、探したたり、考えたりすることを、やめてはいないか。クリスマスという一大イベントが終わった途端、現実に引き戻され、日常生活に忙殺される日々を送っているのではないか。さらに、「神はどこに!」と、問う現場にいてさえ、神を探し求めることを、簡単に、諦めてはいないか。むしろ、手に入れやすい慰めを得ようと、自分に都合の良いものに頼ろうとしてはいないか。
 イエスを見失ったイエスの両親は、ひどく苦しみ、必死になってイエスを捜した。かけがえのないものを必死に探す両親の姿に、わたしたちは人々を訪ねるイエスの原型を見る。イエスの歩みは、失われた者を探す旅だったのです。
 すべての人に、神から、かけがえのない価値が与えられています。貧しくても、病の中にあっても、その価値は変わることがありません。しかし、その価値を失わせようとする世の闇は深い。イエスは闇を照らすために、そして、一人ひとりのいのちと価値を回復させるために来られた。イエスも、その両親のように、失われた価値を探して、必死になってくださった。
 「神はどこに!」と、わたしたちが問うのは、わたしたちが自分の価値を見失っているときだろう。そのような時、わたしたちを、必死に探し続ける方がおられることを思い起こしたい。わたしたちが必死になって神を求め、イエスを一生懸命に探す時、わたしたちの価値を取り戻すために、傷だらけになったイエスに出会うであろう。