43│2017年10月22日 聖霊節21 天国に市民権をもつ者

主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます。
エレミヤ書 17:14
説  教   「小羊が我らの牧者となる!」 :梅田 環

天国に市民権を持つ者
イザ33:17~22、黙7:9~17、マタ25:1~13、詩36:2~10。

玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へと導き神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」
黙示録 7:17

 ヨハネ黙示録は、迫害下の教会を励まし、慰めを与えるために、記されました。十字架の主が勝利者であり、その主の忠実な僕もまた勝利を得るゆえ、信仰を貫くように、と励まします。
 群衆が手にするナツメヤシは勝利のしるしで、歓喜を表します。主のエルサレム入城のおり、その枝を持って迎えた群衆のように、喜びつつ礼拝するのです。ここでは、信徒たちが天上界に入れられた、と伝えるだけですが、それこそが神と小羊の終末的支配を表しています。「救いは……神と、小羊とのもの」(黙7:10)との讃美を持って宣言し、告白します。彼らがどこから来たかは、主がご存知ですとのやり取りは、エゼキエル書37章3節を想起させます。
 彼らは「小羊の血で洗って白く」された者、すなわち、十字架により罪赦された者であるゆえ、神に仕える者とされます。神が彼らの上に「幕屋を張る」とは神が宿ることで、「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」とヨハネ福音書が語るのと同じ語です(ヨハ1:14)。終末には、神殿を必要としない神(および小羊)が人と共に住み、そこが「安らかな住まい、移されることのない天幕」(イザ33:20)とされるのです。地上の権力者の栄光は一時で、彼らへの恐れも過去のものとなるのです。
 この終末の幻は、今を生きるわたしたちをも励ましています。「信仰」という、人のものを分けてもらうわけにはいかない油を保ちつつ(マタ25:13)、終わりの時に向かっていきたいと思います。