03│2020年01月12日 降誕3 イエスのバプテスマ

週    句

神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
ローマの信徒への手紙 8:14
説  教    「見よ、神の小羊」    :梅田 環

イエスのバプテスマ
イザ42:1~9、エフェ2:1~10、ヨハ1:29~34、詩36:6~10。

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊だ。……
ヨハネによる福音書 1:29

 「神の小羊」は、新約聖書の中で、特にヨハネ福音書に特徴的な表現です。しかし、その小羊が「世の罪を取り除く」存在であるとは!「小羊」という存在と「取り除く」という行為が、直接的には、結びつくようには感じられないのは、わたしだけでしょうか。
 イザヤ書42章で、神は、ご自分が創造された世界に生きる者に「息」と「霊」を与えると言います。それは、40章と同じように、創造主としての神の姿を現しますが、その神が、人々に「息」と「霊」、すなわち、人を生かすための神からのものを与えるとの言葉に、神が、多様な生命を愛し、救いと恵みの内にそれらを生かすイメージを見ます。そして、「見よ、わたしの僕、わたしが支える者」と、神の僕が遣わされる様が描かれます。この僕を通して、苦しみの中にある人々が救い出される様は、福音書に示されるイエスの足跡に結びつくものです。
 「神の小羊」としてのイエスは、小ささや弱さの中に生きる人々と共にあり、強さや大きいこととは対極の存在としての小羊です。この小羊が、世の罪を取り除き、人々を生かす存在として、この世に、神の愛を明らかにするのです。
 「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハ3:16)。主イエスの、地上での歩み、そして、十字架への一つ一つの歩みと出来事の中に神の愛の全部が示されます。「神の小羊」としての主イエスを世にお与えくださった神の愛を覚えつつ、この方こそ、神の子、救い主であるとの信仰を深くする者でありたい。