49│2019年12月01日 降誕前4 主の来臨の希望

週    句

見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。
ゼカリヤ書 9:9
説  教    「良い知らせを伝える者の足」  :梅田 環

主の来臨の希望
イザ52:1~10、ロマ11:13~24、ヨハ7:25~31、詩47:2~10。

いかに美しいことか
山々を生き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
イザヤ書 52:7

 戦い、それを神の名の下に美化された歴史としてではなく、人間の極めて愚かで醜い姿で聖書は描きます。他民族への侵略を繰り返して来た民が、バビロニアによって侵略される側に立たされて行くのです。
「する」側、「される」側、両者の経験をした聖書の民の歴史は、今日を生きるわたしたちに多様な形で問いを与えます。
 そして、この箇所、解放の告知、救いの約束の言葉は何と美しく力強いことか! と同時に、わたしたちが、何をもって「美しい」とするのか、固定化されがちな観念に迫って来る言葉が紡がれています。
 「いかに美しいことか、山々を行き巡り、よい知らせを伝える者の足は」(イザ52:7)。「足」が美しいという預言者の言葉は、読む者たちをしばしば驚かせてきたに違いありません。しかも、この足は手入れの行き届いたものではなく、山々を生き巡ったために汚れ傷ついた足としてイメージされます。苦しみと困難のただ中におかれた民に、「平和」と「救い」、「恵みの良い知らせ」を告げるために、駆け回り、傷ついた姿に、預言者は美しさを見出したのです。行動し、語り、そのために傷つく姿、それは、アドヴェントを迎え、今、わたしたちが待ち望む主イエス・キリストの姿に重なるものです。
 差別され、退けられ、痛み付けられられる現実の中にある人々と出会い、各地を行き巡りながら、救いの良き知らせを告げられた主イエス。このお方がわたしたちのもとにもおいでになる。全ての人を救い、和解と平和の福音をもたらす神の独り子が与えられる。「全ての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ」(詩47:2)