48│2019年11月24日 降誕前5 王の職務

週    句

腰に、帯を締め、ともし火をともしていなさい。
ルカによる福音書 12:35
説  教    「彼らを牧する牧者をわたしは立てる」 :梅田 環

王の職務
エレ23:1~6、黙1:4~8、ヨハ18:33~40、詩17:1~12。

彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない。
エレミヤ書 23:4

 民のリーダーは「牧者」に例えられます。牧者となる、というヘブライ語の動詞には、「導くこと/同伴すること/友になること」の意味があります。そこに、羊を導き、群れに同伴するものとしての指導者のメタファーが結び付けられます。
 しかしながら、現実には、預言者エレミヤの時代に、彼が経験する政治指導者は、誰かの友になることより、自らの保身を考え、自らの利権にのみ関心がある人々でした。そのような指導者の姿は「散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった」者たち、と伝えられます。彼らは、自分の居場所、立場は確保する者です。それに対して、エレミヤが待望する牧者は「群れの残った羊を……集め……帰らせる」者です。彼は、出て行き、自分が労して群れのために居場所を与えるのです。そのような牧者のもとにおいて「群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また、迷い出ることもない」と、エレミヤは言います。
 それを「正しい若枝」と表現し、正義と恵みの業を行う人物であると言いました。「正しさ」と「正義」の基準は、そこにあります。群れのために働き、居場所を与え、群れが恐れることなく、迷うことなく生存することを計らうことが「正しい」ことであり「正義」である、ということです。そして、そのような正しさを与えられることが「救い」である、と聖書は考えています。
 混迷する世界において、「正しい」ことは、追い散らされ、居場所を奪われる者に同伴し、友となることであるとエレミヤは語ります。