44│2019年10月27日 降誕前9 創   造

週    句

初めに神は天と地を創造された。主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます。
創世記 1:1、エレミヤ書 17:14
説  教  「こうして光があった」:梅田 環

創   造
創1:1~5,24~31a、コロ1:15~20、ヨハ1:1~14、詩104:19~23

神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。
創世記 1:3

 聖書の神は、そもそも、混沌に満ちた世界に、いいえ、混沌のみで構成される世界に対して語りかけられます。そして、世界は、曲がりなりにも、秩序を持って構成されることになりました。その基本的な神の働きかたは、言葉を発することとして伝えられています。
 こうした伝承を自分たちの信仰としてまとめていった人々の歴史的な経験は、自分の望むものではない生活を送ることを余儀なくさせられた人々の敗北と喪失、混乱の経験に遡(さかのぼ)ることができるかもしれません。自分が、本来あるべき姿で生きられたはずの場所から、引き離されること、自分の生きて来た歩みを自ら根本的に否定しなければならないこと、大切にして来たものを失うこと、それら全てを、一時に(!)体験した人々は、先に進むべき道を失ってしまいました。それは、人が見て来たもの、経験して来たものが完全に見失われ、目に見えるものに拘泥することを、完全に、あきらめなければならなくさせる経験でした。
 だからこそ、この人々は、その混沌に光を与え、人間が立つべき大地を言葉によって与える神を伝えました。神は、混乱の中に秩序をもたらす言葉、崩壊の中から再生を促す言葉をもつ者であり、その神によって、人間の存在は、根本的に、良いものとされている! そのように世界と自分を理解したのです。
 こうして、人間の深い絶望に対して、聖書の信仰は神の言葉の力を差し出します。言葉がなければ、世界は混沌のままにとどまり、言葉がなければ、よって立つべき場所もありません。そして、言葉があれば、たとえ先行き不透明なところにも人は立ち、歩むことができます。