36│2019年09月01日 聖霊13 信仰の証し

週    句

神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。
ペトロの手紙 一 5:5
説  教   「御言葉を行う人になる」 :梅田 環

信仰の証し
アモ5:18~24、ヤコ1:19~27、ルカ13:10~17、詩119:73~80。

御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる人になっては行けません。
ヤコブの手紙 1:22

 「聞くのに早く、話すのに遅く、また、怒るのに遅いようにしなさい」と諭されています。よく聞き、自分の主張は抑えて、怒りに身を任せないように、という勧めは、感情的になり争いを引き起こすような人間関係に陥ることのないよう、人としての取るべき振る舞いを指示しているに過ぎないように、確かに、映ります。「藁の書」か?
 しかし、そのように振る舞うことを勧める根拠は、「人の怒りは神の義を実践しないから」と言われ、そこには人間の限界と神の絶対性がはっきりと認識されています。人に求められるのは、人間の相対的な正しさにおける良いことの実践ではなく「神の義」を求めることであり、そのためには、悪を捨て去り「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい」と、命じられます。人間の中にある正しさや善を追求するというより、人間の外から来る御言葉を受け入れ、それに、自分を明け渡し、それによって、動かされなさいと勧められているのです。
 御言葉によって、動かされて生きることが「行う」ことであると、この手紙の著者は考えています。「行う」ことは目的ではなく、御言葉によって生きた結果である、ということです。ですから、「御言葉を聞くだけで行なわない者」が「生まれつきの顔を鏡に映して眺める人」にたとえられているのは、著者が「御言葉」が人に変革をもたらすものだと信じているからです。
 「自由をもたらす完全な律法」である御言葉によって、人は、自由に自分から他者への奉仕に向かいます、そして、それが、「信心」として他者に認識される信仰になります。