33│2019年08月11日 聖霊10 苦難の共同体

週    句

光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と、真実が生じるのです。
エフェソの信徒への手紙 5:8、9
説  教  「正しい良心を願い求める」 :梅田 環


苦難の共同体
列上19:9~21、Ⅰペト3:13~22、ルカ9:51~62、詩13:2~6。

バプテスマは、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。
ペトロの手紙 一 3:21b

 著者は、まず、「義のために迫害を受けるのであれば、幸いです」と言います。それは、イエスの教えの中に伝えられるものであり、イエスを主と信じる者が大切に伝えて来た、信じる者へ贈られる基本的な慰めです。貧しい者、悲しむもの、平和を造り出す者、個々のキリスト者は、この言葉から、自分の置かれている状況、被っている困難を振り返り、なおそこに、約束を見いだすことができるはずです。イエスは、どのように生きることを伝えたか、そして、どのように救い主となったのか、そこに、しっかりと立つことを、この言葉は求めます。
 「あなたがたの抱いている希望」がどのようなものであるのか、語ることができるようにしていなさいという勧めは、この困難を乗り越えるために重要なことです。なぜなら、その希望がどのようなものなのかがはっきりしてさえいれば、人からの中傷も、誹(そし)りも、真にその人の核を損なうものにはなり得ないからです。
 キリストは、人々を神のもとへ導くために、苦しみ、いのちを捨てました。この世に生きるキリスト者は、そのキリストを通して、神のものとなる希望へと生きています。その希望をつなぐのが「神に正しい良心を願い求める」行為としてのバプテスマである、と著者は言います。
 世界が偽りを語るとき、教会は真実に立ちましょう。世界が互いに貪るとき、教会は分ち合いを生きましょう。世界が命を破壊するとき、教会は平和を語りましょう。わたしたちがその立ち位置から逃げ出さないために、バプテスマは、わたしたちに与えられているのです。