31│2019年07月28日 聖霊8 キリストの心

週    句

恐れるな。わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書 43:1
説  教  「霊から永遠の命を刈り取る」:梅田 環

キリストの心
サム上24:8~18、ガラ6:1~10、ルカ7:36~50、詩38:10~23。

自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
ガラテアの信徒への手紙 6:8

 集会(教会・教団)は、いつでも、簡単に、人間の本性を丸出しにしたエゴイストの集まりになってしまうものです。ですから、パウロは集会が神の教会であるための注意事項を与えます。例えば、構成員同士の仲たがいを諌めようとするならば、「そういう人を(キリストの心に)立ち返らせなさい」と命じて、すぐに、「あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」と、語ります。
 集団の中に自分を埋没させる「あなたがた」の中のひとりとしてではなく、「あなた」個人の有り様を、パウロは問います。「あなた」、とパウロに呼びかけられる集会につどう個人は、神の教会であるために、何を求められているのでしょうか。それは、神の前において、正直に自分を見つめること、イエスの十字架によって取り戻された者としての自分を、改めて想起することです。そうすることで、人は、相対的な比較の物差しではなく、神を基準とした基本原則的な物差しを持つことになります。
 「互いに重荷を担いなさい」(2節)と「めいめいが、自分の重荷を担うべき」(5節)という、集会に勧められる一見矛盾する二つの事柄は、「あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに支えなさい」(ガラ5:13)という前章の言葉から理解される時、立体的なものとなって、人の現実の生活を支えるでしょう。
 神によって自由にされた人間は、自分の固有の課題を神への応答として、担うことになり、その応答は隣人への愛として発現するのです。