20│2019年05月12日 復活4 命のパン

週    句

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
コリントの信徒への手紙 二 5:17
説  教    「いのちのパン」   :梅田 環

命のパン
出16:4~16、Ⅰコリ8:1~13、ヨハ6:34~40、詩78:23~39。

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。……
ヨハネによる福音書 6:35

 イエスのこの言葉を人々が受け入れるのは、パンで満たされる経験があったからです。この聖書箇所に先立つ第6章の冒頭で、彼らはパンの奇跡を経験しており、既に、イエスは満腹させてくれる存在だと知っています。
 けれども、ここでは、イエスは、「パン」ではなく、「命のパン」について語り、そして、それは自分のことである、と言います。さらに、イエスのもとに来て、イエスを信じる者は、決して飢えることも渇くこともない、と語ります。イエスが伝えようとしているのは、比喩的な表現における「パン」です。
 それは、何か、や、誰か、によって満たされるしかないほどに、疲弊し、奪われた状態から、イエスに出会うことによって、その人が回復され、欠けが満たされていくということを、意味するものでしょう。それ以上、誰か、や、何か、によって満たされる必要はなくなるように、人が、自分で立つことができるようにするのが、「命のパン」です。そのような命のパンに触れる機会は、全ての人に開かれています。「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る人を、わたしは決して追い出さない」と言われているとおりです。
 教会がこの言葉を生きようとするとき、スタートにおいて、パンは人を生かすものであることを忘れてはならないでしょう。けれども、パンは、人を、時間を超えて、十全に生かすものではなく、命のパンが与えられなければ、人の本来の回復はありません。すべての人が、満たされ自立して、その人本来のいのちのありかたを取り戻すために、「命のパン」によっていかされる教会はこのパンを世界に配ります。