19│2019年05月05日 復活3 復活顕現二

週    句

わたしは良い羊飼いである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らに永遠の命を与える。
ヨハネによる福音書 10:27、28
説  教  「まさしくわたしだ」 :梅田 環

復活顕現 2
イザ51:1~6、1コリ15:50~58、ルカ24:36~43、詩4:2~9。

わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。
ルカによる福音書 24:39

 人間の体は老いかつ弱ります。しかし、その体をもってイエスは甦った(!)と、敢えて、福音書は語ります。ルカ福音書も、弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われると、彼らは、恐れおののき、亡霊を見ているのだと、思います。古代の常識でも、体をもって甦ることなど、あり得ないことであり、幽霊に違いない、と思ったのです。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」。
 十字架にかけられた時の体と同じ傷んだ体をもって復活のイエスが現れるということは、わたしたちもまた、その体を受け入れ、愛し、慈しむことへと招かれていることを意味しています。それは、自分の体であり、また、出会う相手の体のことです。そして、体を慈しむことがさらに広がっていき、出会う相手と、体ごと、本当の意味で、受け入れ合うことができたときに、お互いの関係は、キリストによって結ばれた関係〈教会〉になっていきます。
 こうして、聖書は具体的なもの、現実に存在するものの中に、復活のいのちを見ることへと、わたしたちを向かわせます。
 まるで恵みとは思えない、不便なことの多い、痛みの多い状態の中にあって、それでも、なお、そこに、恵みを見出すこと! 聖書の信仰は、わたしたちをそのような形で、生きること、愛すること、受け入れることへと招いているのです。