17│2019年04月21日 復活1 キリストの復活

わたしは一度は死んだが、見よ、々限りなく生きて、死と陰府(よみ)の鍵を持っている。
黙示録 1:18
朗読劇  復 活 〜《ガリラヤ》へ行かん〜

キリストの復活
創9:8~13、ロマ6:3~11、ルカ24:1~12、詩30:2~13。

婦人たちが恐れて知に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を使者の中に捜すのか。
ルカによる福音書 24:5

 イースター、主の復活のメッセージの中心は、「ない」ことにあります。墓に行ってみると、そこにはイエスの体がなかったことが、イースターの指針の根本です。通常であれば、「ある」ことが大切であるとされるでしょう。信頼があること、希望があること、目的があること、守るべきものがあること、……。けれども、教会が宣教の基盤、その成立の基盤をおいているイースターは、「ない」ことから始まっています。イエスの体が「ない」ことが何を意味するのかということの理解が、教会の宣教を形作ってきました。
 そこでは、決して、ただ「ない」ことだけが語られているわけではありません。「ない」ということを発見した女性たちは、ないことの意味を思い出すように促されます。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか」。それは、死と喪失にのみ向けられている眼差しを、いのちに向けさせる言葉です。「ない」ことは、失われたことを意味するのではなくて、「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」と語られたことの実現なのだ、と信じることに向けさせる言葉です。
 イエスが十字架にかけられ、苦しみながら死んでいくその姿を、なすすべもなく見守るしかなかった女性たちは、無力感に苛まれ、せめて、イエスの遺体にしかるべき手当をして慰めを得たいと願いました。それは、死と喪失に支配された行動です。
 しかし、空の墓は、その支配を断ち切り、異なるいのちのあり方に女性たちを立たせます。「ない」ことや失うことに怯えない生き方!