16│2019年04月14日 復活前1 十字架への道

週    句

人の子も、上げられねばならない。それは信じる者が皆、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書 14:15
説  教    「起きて祈れ」    :梅田 環

十字架への道
イザ56:1~8、ヘブ10:1~10、ルカ22:39~53、詩22:2~22。

……、誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。
ルカによる福音書 22:46

 「棕櫚の主の日」の物語は、イエスが孤独の内に祈る場面から始まります。イエスは「 いつものように」「いつもの場所」で、祈ります。が、その日の出来事は、決して日常のようには展開しません。イエスは自分に近づく苦難を予感し、苦しみながら祈ります。自分から苦しみの杯が取り除かれることを願いながらも、それでも、「御心のままに」と、神に自分を従わせるイエスは、この一連の祈りを共有することのなかった弟子たちに、「誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」と、命じます。それは、生理的に眠り込んでしまったことへの非難というより、これから先、困難が襲いかかる時に、そこに巻き込まれても、自分を見失うことがないように、という戒めです。
 そこに、ユダに率いられ、イエスを逮捕しにやって来た人々が登場します。その場は、騒然とし、混乱の中で、大祭司の手下の一人はイエスの仲間によって、耳を切り落とされてしまいます。その場は、暴力と悪意が支配する場所に、簡単に、なってしまうのです。
 イエスは、その人の傷をいやします。危機にも、混乱にも、先が見えない時にも、敵対する関係にあっても、誰に対しても、イエスは、神の救いを指し示します。暴力で自分を拘束しようとする祭司長たちに対して、今は「闇が力を振るっている」時なのだ、と、その行為の性質を正しく認識しています。
 けれども、イエスが指し示すのは、闇に敗北することのない光であり、憎しみと暴力に支配されることのない愛です。目の前に、苦難と闇と敗北が広がっている時に、その向こうに生み出されるべき世界を、イエスは指し示します。