11│2019年03月10日 復活前6 荒れ野の誘惑

週    句

悪魔の働きを滅ぼすためにこそ神の子が現れたのです。
ヨハネの手紙 一 3:8b
説  教    「誘惑を受けられた」   :梅田 環

荒れ野の誘惑
申6:10~19、ロマ10:8~13、ルカ4:1~13、詩66:1~12。

「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」「もしわたしを拝むなら、(権力と繁栄は)みんなあなたのものになる。」「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。」

ルカによる福音書 4:3、6、9

 荒れ野で断食したイエスが直面した誘惑の性質は、イエスさまを信じる人が、世界の中で、それぞれに経験するチャレンジと本質的には変わらないものではないでしょうか。「石をパンに変えてみろ」、「自分(悪魔)を崇拝すれば栄華が手に入るようにしてやる」、「神の子なら高いところから飛び降りても守られているはずだろう」と……。
 だからこそ、福音書は、イエスの宣教活動の冒頭で、経験し、打ち勝ったこととして、イエスが直面した誘惑の物語を語るのです。なぜなら、イエスがこれから携わろうとしている活動の根本的な性格を、誘惑に打ち勝つこと自体が示しているからです。つまり、自分の意志や自分の持てるもの、自分という存在を、大いなるもの、永遠なるもの、滅びることのないいのち、に従わせること、キリスト教の言葉でいえば、「神の栄光を表すために自分のいのちを用いる」という、イエスの姿勢が表現されているのです。
 イエスが受けた誘惑は、わたしたちが経験するチャレンジと、本質的に変わりはありません。わたしたちは、自分自身を神の意志に従わせることに、いつも、苦労している者です。
 教会はレントの時期に入りました。イエスが自らを神の意志に従わせたことを想起する期節であり、また、同時に、そのイエスに従うということが、一人ひとりの信じる者にとってどのような意味をもつのかを、黙想する期節でもあるのです。