01│2019年01月01日 降誕 命名日 キリストの降誕

週    句

全てを、主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
コロサイの信徒への手紙 3:17
説  教    「言は肉となって……」  :梅田 環

言の受肉
イザ52:7~14、ヘブ1:1~6、ヨハ1:1~14、詩2:1~12。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。
ヨハネによる福音書 1:14a

 ヨハネ福音書には、マタイ福音書やルカ福音書のような降誕物語は記されていません。また、マリアやヨセフといった降誕物語の中心人物はだれも登場しません。他の福音書では「マリア」という一個人の名前が挙げられ、神の子を宿した女性として讃えられています。しかし、ヨハネ福音書に、神の子の母は登場しません。ヨハネ福音書は言います。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。
 人となられた神の言葉は、マリアという特別な女性に与えられたのでもなければ、ベツレヘムという遠い町にお生まれになったのでもありません。今、生きているわたしたちのもとに来られ、わたしという存在が神の子を宿す器とされたのです。
 しかし、神の子がその住まいとされたわたしたちは、立派な器ではない。もろく、はかなく、弱い存在です。荒れた部分、闇の部分があり、そこには、自分と相容れないものは排除したいという暴力的な思いさえあります。この弱さをもったわたしたちの中に、救い主は来られた。それも、わたしたちと同じ弱さをもった肉なる存在として。そして、神の言葉で、わたしたちの弱さや傷に触れ、癒してくださる。
 また、わたしたちが自己中心的な考えに陥り、他を排除しようとするとき、わたしたちを対話と和解と共生へと導く知恵を与えてくださる。なぜなら、神の言葉の受肉は個人的な事柄に留まるのではないからです。「わたしたちの〈間〉に宿られた」と記されているように、わたしと隣人の間に立ち、わたしたちを繋ぎ合わせる橋としてお生まれになったのです。