53│2018年12月24日 誕前聖夜 人となったロゴス(言)

今 夜 の 聖 句

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
ヨハネによる福音書 1:1

言は肉となってわたしたちの間に宿られた。
ヨハネによる福音書 1:14a
おはなし    言は人の光であった!  牧 師

言(ロゴス)は人の光
イザ45:22~25、フィリ2:1~13、ヨハ1:1~14、詩98:1~9。

その光は、まことの光で、世に来て、全ての人を照らす。
ヨハネによる福音書 1:9

 キリストの誕生日は、極めて神学的な理由で、12月の25日と定められました。それは北半球に住む人間が、最も闇が濃くなることを肌で感じる時だからです。そこで、闇を克服する光の到来として、古代のキリスト者はキリストの誕生日を冬至に設定したのです。
 ヨハネ福音書の語り出しは、「言と光」という抽象的な表現で,イエス・キリストの働きを言い表します。それは、人間の生きる場所の混沌に,光をもたらす秩序(言)としてのキリストであり、人間がそこを生きなければならない暗闇を照らす松明(光)としてのキリストです。キリストとしてのイエスに出会うことによって、混沌と暗闇の中にあるわたしたちのいのちの歩みは意味あるものになる、とヨハネ福音書は考えています。
 しかしながら、同時に、秩序は混沌の中でこそ意味をもち,光は闇との対比においてこそ,人間を照らすものとなる。そうであるならば、言と光は、混沌の暗闇において、わたしたちを導くものとして存在するのであり、混沌と暗闇を世界から完全に駆逐する力を持つものではないのでしょう。ただし、それは、混沌と暗闇の支配力を決定的に無力化するものなのです。わたしたちが、それに圧倒され、取り込まれ、押しつぶされそうになるときに、踏み留める働きをなすものです。
 わたしたちの人生の歩みは、クリスマスを越したからといって、明日から万事が好転するわけではありません。冬至を過ぎても、わたしたちを取り巻く闇は、深く濃いままです。けれども、冬至の翌日から、少しずつ、日が長くなっていくように、言を得て、光に照らされたわたしたちは、その闇を抜け出すための希望を得ています。言が、わたしたちの明日を照らすことを信じ、受けとめようではありませんか