47│2018年11月18日 降誕前6 救いの約束/モーセ

週    句

わたしたちは、皆、キリストの裁きの座の前に、立たなければなりません。
コリントの信徒への手紙 二 5:10
説  教  「モーセ・引き上げられた者」:梅田 環

救いの約束/モーセ
出3:1~15、ヘブ8:1~13、ルカ20:27~40、詩77:2~21。

今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。
出エジプト記 3:10

 イスラエルの民を奴隷の地から導き出す使命への招きを受けた時、モーセはすでに「ファラオの娘の子」という特権的な肩書きを失っていました。王家の一員であるなら、この使命遂行のために、何かできることがあったかもしれません。しかし、今、彼が背負っている肩書きは「罪人」。殺人を犯し、ファラオの怒りを買ったゆえに、何もかも捨てて、逃亡するより他なかった。
 モーセは、どこにも居場所を見出せない寄留者として孤独な日々を送っていた。だれからも仲間として受け入れてもらえない。これは、逃亡前から、彼を苦しめていた問題。イスラエル人でありながら、エジプトの地で生きなければならなかったモーセ。虐待を受けていたイスラエル人を助けるためとはいえ、罪を犯し、国を追われたモーセに故郷と呼べるものはなく、拠り所も、基盤もないのだ。彼が、今、立っている「荒れ野」、そして、彼が見ている「柴」はその象徴だろう。
 その荒れ野で、神の声が響き、柴に神がご自身を現した。彼の孤独、欠乏、虚無、苦悩に神がおられ、そこで、モーセに呼びかけておられるのだ。逃れられない現実のただ中で、神の声は響く。モーセの名は「引き上げる」という意味。神は、人生のどん底からモーセを引き上げ、召し出した。
 神の招きは、個人的な事柄に留まるのではなく、モーセがイスラエルの人々の仲間となり、共同体として共に生きる道に導く。そして、「この山で神に仕える」という言葉によって、モーセに居場所、故郷を与えたのではないだろうか。