46│2018年11月11日 降誕前7 神の民の選び/アブラハム

週    句

今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
コリントの信徒への手紙 二 6:2
説  教    「なぜサラは嗤ったのか」:梅田 環

神の民の選び/アブラハム
創18:1~15、ロマ9:1~9、ルカ3:1~14、詩105:1~11。

主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ、年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。
創世記 18:13

 アブラハムの子どもを産むことは妻サラの悲願でした。女性は子どもを産まなければならない、というプレッシャーは大きい。サラを責める声も大きかった。女奴隷ハガルによって子どもを与えられるよう、夫に願ったのも、屈辱的だった。
 「子どもがいない」ことによって、彼女は世間から見下されていると感じ、尊厳は傷つく。「子どもが生まれる」という言葉に、サラは、自分は年をとっているから不可能だと感じた。「年をとっている」とは、「古い着物がすり切れた」という意味もある。彼女は、「わたしはボロボロで、何の役にも立たない存在なのだ」と言っているのだ。主の言葉は、自尊心を失った彼女にとっては、祝福でも、喜びでもなく、残酷な言葉でした。アブラハムも、また、わたしたちも、そのように感じる。しかし、神は、わたしたちに、「なぜ、年をとったサラに、子どもが生まれるはずがない、と思ったのだ」と尋ねます。言い換えると「役立たず(だと、決めつけているところ)に神の祝福などあるはずがない、と思うのか」と、問われているのではないでしょうか。
 わたしたちは、様々な情報や経験、統計から結論を出します。高齢だから、若いから、男性だから、女性だから、病気だから、ハンデがあるから、と。様々な「〜だから」という大きな声が蔓延しています。この声によってサラの人生は暗くされていた。傷ついたサラは、自分自身を否定し、自尊感情を失うことで、痛みを感じないよう、対処していたのでしょう。
 神は、そのような声に、「なぜ、あなたが決めつけるのか」と問う。