41│2018年10月07日 聖霊降臨21 忍耐

週    句

ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたはときに応じて、食べ物をくださいます。
詩編 145:15
説  教    「絶えず教え、福音を告げ」:梅田 環

忍   耐
ダニ3:13~26、使徒5:27~42、マル14:53~65、詩37:30~40。

それで、使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者とされたことを喜び、……毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。
使徒言行録 5:41〜42

 日本語の「忍耐」という言葉には、受け身的な印象があります。が、忍耐とは、納得できないことや受け入れがたいこと、傷つくことでさえ、反論せずに我慢することなのでしょうか。み言(ことば)は、理不尽な事柄も全て耐えよと言っているのでしょうか。
 今日の日課では、旧約、福音書、使徒書のすべてにおいて、暴力的な脅しにさらされている様が記されています。その状況に屈して、自分自身を押し殺すことが、わたしたちの経験する忍耐です。しかし、聖書が示しているのは、その状況に屈することでも、暴力によって応戦することでもありません。忍耐とは、「そこに留まり続ける」ことを意味しているのです。
 ペトロはどこに留まり続けたのでしょうか。捕らえられたイエスを裏切ったときの彼は、神のもとに留まることができず、人間の力に屈したのでした。しかし、そのペトロを、イエスは赦しました。その赦しには、ペトロに対する信頼があったのではないでしょうか。彼が、再び、神に立ち帰り、人々を神の恵みのうちに歩む道へと導く器となることを信じ、イエスがまずペトロに忍耐を持って留まり続けたからこそ、ペトロは、ここにこそ自分は立つべきだと悟ったのです。
 イエスの信頼はわたしたちにも注がれています。わたしたちに、希望を持って忍耐されているのは、イエスであり、神なのです。わたしたちも、その愛に答えて、隣人に対して、信頼と希望を持って、忍耐しつつ、み言(ことば)を伝える働きに努めようではありませんか。