39│2018年09月23日 聖霊降臨19 苦難の共同体

週    句

世に打ち勝つ勝利それはわたしたちの信仰です。
ヨハネの手紙 一 5:4
説  教    「信仰に踏みとどまる」 :梅田 環

苦難の共同体
創32:23~33、コロ1:21~29、マル14:26~42、詩43:1~5。

ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。
コロサイの信徒への手紙 1:23

 「共同体としての苦難」と「個人が抱える苦難」、両者には大きな隔たりがある。必要な助けも共通することが多い。しかし、個人が抱える苦しみは千差万別であり、さらけ出すことが困難な場合も多々ある。個人的な悩みや苦しみは理解してもらえないのではないか、また、非難されて幾重にも傷つけられるのではないか。そのことを恐れて、心の奥深くに隠してしまうことはないだろうか。
 教会には、み言葉を伝える使命が与えられている。その相手は、それぞれに、痛みと苦しみを抱えている。そのような人々に何を語るべきなのであろうか。その苦しみは、本来、喜ぶべきもの、神から与えられた試練だ、と語るべきなのだろうか。苦しみの経験が喜びや幸せに勝る信仰体験であるとするならば、苦しむ人に手を差し伸べるどころか、さらに苦しみを与えてしまうだろう。苦しみを個人的なものとして押し付けてしまうならば、その人を孤独へと追いやってしまう。イエスは、十字架の苦しみをイエス個人のものとして押し付けられ、孤独の内に死なれた。そうして、共同体から切り捨てられ、孤独の中で苦しむ人々の友となられた。
 教会は、隣人を孤独へと追いやるためではなく、孤独に追いやられた人の隣人となるために遣わされている。その使命は重い。隣人と同じ経験をすることも、100%気持ちを理解することもできない。み言葉を語っても、その心に届かず、虚しく響いているようにさえ感じることもある。しかし、神は、み言葉が虚しく天に戻ることはないと約束する。神が共におられることを示す働きへと出かけよう。