37│2018年09月09日 聖霊降臨17 奉仕する共同体

週    句

思い煩いは、何もかも、神にお任せしなさい。神があなたがたのことを、心にかけていてくださる。
ペトロの手紙 一 5:7
説  教    「慈しみは永遠に続く」  :梅田 環

奉仕する共同体
申15:1~11、Ⅱコリ9:6~15、マル14:1~9、詩112:1~10。

「彼は惜しみなく与え、貧しい人に施した。/彼の慈しみは永遠に続く」(詩112:9)/と書いてあるとおりです。
コリントの信徒への手紙 二 9:9

 イエスさまは、その生涯の間、貧しく、人に分け与えるお金も物も持ち合わせておられなかった。不足は人々と協力して補い合い、神の恵みを祝い喜んだ。そのようなイエスさまの生き方から、人々は「多くを与えられた」と喜びにあふれた。このイエスの姿から、わたしたちは「真の献げ物とは何か」という問いを、自分自身に、隣人に、教会に、そして、世界に、投げかけなければならない。
 パウロは、イエスが与えたものについて、詩編の言葉を引用し「慈しみ」であるという。その慈しみという種がわたしたちにも与えられており、パウロは、その種を蒔くという奉仕に勤しむよう勧めている。
 種は持っているだけでは目を出さないし、実を結ばない。蒔いてはじめて成長するのである。だから、いつまでも惜しんで種を持っておく人はいない。むしろ、蒔くべき時に、すべてを蒔いて、豊かな実りを信じ、希望を持って育てるのではないだろうか。慈しみという種も、だれにも与えず、自分自身の内に留めていては、何の変化も起こらないだろう、差し出してはじめて、芽を出し、成長し、実を結ぶ。神は、惜しみなく与えるようにと促しているのです。
 慈しみは正義と同義の言葉です。自分自身の欲望の達成のため、自分自身を守るために、他者を困窮させることは、正義ではありません。全ての人に目を注ぎ、豊かに与えることが、神の正義なのです。この正義に立って、慈しみと愛を行う日々を生きたいものです。物質的なもののみならず、愛を基とした働きすべてが、神によって育まれ、さらに実ることを信じましょう。