35│2018年08月26日 聖霊降臨15 最高の道

週    句

わたしの兄弟であるこの最も小さい者にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
マタイによる福音書 25:40
説  教    「最も大いなるものは愛」 :梅田 環

最高の道
ホセ11:1~9、Ⅰコリ12:27~13:13、マル12:28~34、詩62:2~13。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で、最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙 一 13:13

 〈あなたのためを思って言っているのよ!〉。言われたこともあり、言ったこともある言葉だ。それを聞くと、自分自身を尊重するよりも、まず、相手が何を求めているか、そして、それを果たすことができるかと考え、愛されるための努力をする。自分の思いは二の次になり、自分の心と体とがバラバラになり、疲れ果て、傷つく。
 最も重要な掟は何か、と尋ねられたイエスは、「愛すること」と答えている。パウロも「最も大いなるものは愛である」と宣言する。神がわたしたちを愛しておられるのだから、わたしたちも神を愛し、隣人を愛するのである。律法や神の言葉は愛するという生き方のための導き手であるはずだ。それを「こうしなければ愛されない」と教えるならば、「愛されていない」という不安を与え、「愛されるため」にどうすればよいか、と苦悩させることになる。このような悩みは自分自身を見失わせる。
 聖書は、失われたわたしたちのために、神が働かれていることを証ししている。ホセア書には、苦悩しつつ、心痛めつつ、民を愛する神の姿がある。その愛はイエス・キリストを通して示された。イエスは、愛されるために自分自身を失っている者を閉じ込めている囲いを打ち破られた。神の愛は、人知を超えた高さ・広さ・深さがある。
 そのイエスに従っていきようとするとき、パウロが言うように、「忍び、信じ、耐える」努力が必要になる。この努力によって、わたしたちは、自分の心の狭さを打ち破り、広大な神の愛に生きることができる。わたしたちは既に愛されているのだ!