34│2018年08月19日 聖霊降臨14 全ての人に対する教会の働き

週    句

彼は傷ついた葦を折ることなく、暗くなっていく灯心を消すこともない。
イザヤ書 42:3
説  教    「地の果てにまでも救いをもたらす光」 :梅田 環

全ての人に対する教会の働き
イザ5:1~7、使13:44~52、マル12:1~12、詩40:2~12。

……、『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』
使徒言行録 13:47

 ねたみは、幾度でも現れる感情である。ねたみに支配されると、自分自身を見失い、劣等感を抱き、相手に対して攻撃的になってしまいます。自分自身とかけ離れた人や状況に対してねたみを抱くことはほとんどない。ねたみは、自分の興味・関心の範囲にあるものに対して抱く感情で、「こうありたい」という願望の裏返しともいえる。
 なぜ、ユダヤ人は、神の言葉を聞こうとして集まった群衆にねたみを抱いたのであろうか。もし、異邦人に対して神の言葉が語られることが許せないのであれば、感じるのは、怒りや憤りであろう。パウロたちの人気がうらやましかったのであろうか。「ねたみ」という言葉には、「熱心」という意味も含まれている。
 ユダヤ人たちも、皆、み言葉や信仰生活に対して熱心であった。熱心になればなるほど、自分の信仰の正しさを絶対化し、そこから外れる者を排除してしまう危険性がある。ねたみに支配された人々は、パウロたちを追放したが、彼らの心は晴れなかったであろう。なぜなら、彼らが排除した人々や光景に、彼らの願望や憧れが現れており、それが自分自身にはまだ起こっていなかったからである。
 彼らの見たものは、人々が神の言葉を聞く生き生きとした姿や、敵対者をものともせずに大胆に語る姿、ユダヤ人と異邦人とが共に救いに与る姿だった。彼らが追い求めていた生き方を目の当りにし、これまでの熱心さにもかかわらず、それを実現できていないために、ねたみに燃えて、それらを排除したのではないだろうか。神に仕えているようで、実は自分自身に仕えているわたしたちの姿がここにある。