30│2018年07月22日 聖霊降臨10 キリストの体

週    句

光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。
エフェソの信徒への手紙 5:8、9
説  教    イエスの心を心に  :梅田 環

キリストの体
民11:24~29、Ⅰコリ12:12~26、マル9:33~41、詩13:2~6。

……皆、一つの体となるためにバプテスマを受け、皆、一つの霊をのませてもらったのです。
コリントの信徒への手紙 一 12:13

 パウロは必死に語りかける。人々を分断するものは何か。福音書においては、弟子たちはだれが一番偉いのかを論じ合っている。相手より優位に立とうとすると、そのとき、いがみ合いが起こる。信頼関係は崩れ、疑い、貪り、怒りがわたしたちの心を支配する。
 パウロは語る。体の中で最も弱い部分、格好の悪い部分、見苦しい部分こそ必要かつ不可欠である、と。仲間である隣人を信頼できず、神の御心に沿う働きもできず、共同体が分裂と崩壊に向かっているとき、その最も弱く見苦しい部分はどこかと尋ねられれば、自分自身の内面、わが心なり、と思わざるを得ない。心の弱さこそイエスとの関係性を壊し、イエスを十字架へと追いやっているのだ。
 しかし、イエスは、わたしたちのその弱さを否定しない。また、それを隠して生きることを勧めるのでもない。その弱さをこそ用いて生きる道へとわたしたちを導かれたのだ。最も弱い部分に、イエスがおられることを自覚したとき、この弱い部分が、他の部分同士をつなぐ役割を果たすことになる。
 教会でも、生活の場でも、信頼関係の破れが、心と心の絆を引き裂き、傷つけ、群れの生命力を弱らせる。最も遠ざけたい怒りや憎しみに支配されることもある。しかし、十字架のイエスは、共に傷を負い、あなたを見捨てない、と宣言されている。わたしたちの絆を繋ぎとめるイエスの愛がそこにある。コリントの信徒への手紙第一13章には、愛はすべてを完成させる絆であると記されている。世にある教会は、神の創造された部分と部分を繋ぐ役割を担っていくのだ。