28│2018年07月08日 聖霊降臨8 神からの真理

週    句

恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書 43:1
神からの真理
列上10:1~13、Ⅰテモ3:14~16、マル8:22~26、詩119:129~136。

キリストは肉において現れ/〈霊〉において義とされ/天使たちに見られ/異邦人の間で宣べ伝えられ/世界中で……
テモテへの手紙 一 3:16

 これは当時歌われていた讃美歌です。限界ある肉体、痛み、衰える肉体に、神が宿っておられることが示されています。それは、キリストに限ったことではなく、わたしたちの内にも、神が宿り、救いの御業を成し遂げられるのです。その神秘が歌われています。
 しかし、わたしたちは、限界性を持つ肉体よりも、不変で永遠である(?)天的存在に憧れます。そればかりを追い求めるとき、教会は肉なるものに背を向け、天を仰ぐことにのみ関心を向けてしまい、現実からかけ離れてしまうのではないでしょうか。テモテへの手紙は、教会が担うべき責任、果たすべき責任を認識するよう、促している。
 礼拝が個人的なものに留まることなく、世界のために祈るものとして、歩むよう促されている。教会は、時代の流行を追い求めない。流行を追い求めもしないが、この世の動きに無頓着になっていないだろうか。この世に派遣され、福音を宣べ伝えた使徒たちは、肉なるものとの出会いの中で、キリストを再発見した。イエスと共に行動していた時には分からなかったことが、派遣された先々で、限界性に苦しむ人々の内に、また、限界性に悩む自分自身の内に、神がおられることに気づいた。イエスが教えてくださったことを、それぞれの現場で、実感を伴って経験し、キリストを再発見することができたのです。
 わたしたちは、もろく、弱く、倒れやすい存在です。そのわたしたちのために、イエス・キリストは来られたのです。真理であるキリストを土台とし、柱として立ち、遣わされているこのいのちの現場で、イエス・キリストを発見する喜びを分ち合おうではありませんか。