15│2020年04月05日 降誕1 十字架への道

週    句

人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書3:14、15
説  教  「十字架への道」      :佐野静樹

十字架への道
創22:1~18、ヘブ10:11~25、ヨハ18:28~40、詩64:2~11。

わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの
世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。
ヨハネによる福音書18:37b
イエスの逮捕?尋間に至る過程の中には多くの人間の感情が渦巻いています。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるよられように、イスラエルの王に」(ヨハネ12・13)との歓呼の声から一変、裏切りや憎悪、企て、疑念、そのような言葉が当てはまる様が描き出されていきます。エルサレム入城からこの場面に至るあまりの変化は読む者に戸惑いさえ与えるのではないでしょうか。
「変化」といえば、別の変化をしている人物がいるように思います。それがイエスご自身です。イエスは、弟子たちと度々集まっていた場所、ユダもその場所を知っていたキドロンの谷の向こうの園へと赴かれます。ユダの裏切りをすでに予告されたイエスの姿を思えば、自分の姿が見つけられるようにとそこに姿を現されるかのようです。そこに「心騒ぐ」と、内なる葛藤を吐露しながら受難の道を歩んでこられたイエスの姿は見られません。むしろ迫り来る苦しみを御自ら引き受けられようとしておられる主の姿を見ます。
人間が有する負の側面、闇の支配を思わずにはいられない状況の中で、神の子としての姿を示される主イエス。その主の姿を前に、人間の企てや悪の力は無力化されていきます。降誕日に分かち合った「闇は光に勝たなかった」(聖書協会共同訳)との言葉がここでも明らかにされます。闇に支配されているようなこの受難の出来事の中で神の御業が進んでいく様を心に刻んでいきたいと思います。              「礼拝と音楽」より

2020.04.06(日)の礼拝の週報

14│2020年03月29日 降誕2 十字架の勝利

週    句

人の子は、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。
マタイによる福音書20:28
説  教  「十字架の勝利」      :草苅隆幸

十字架の勝利
イザヤ63:1~9、コロ2:18~15、ヨハ12:20?36、詩22:23?32。

光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。
               ヨハネによる福音書12:36

「今、わたしは心騒ぐ」。十字架の出来事を直前にしてイエスが語る言葉は、ゲッセマネの祈りを彷彿とさせるものです。“Now my soul is troubled "(NRSV)という英訳の方が、よりイエスの内なる混乱した状況を表しているかもしれません。受難が近づいていることをイエス自身が自覚してのこのような言葉に心を打たれます。一点の迷いも無しに十字架の道を歩まんとする姿というよりも、深い葛藤を抱きつつ歩むイエスの姿を私たちはどのようにイメージするのでしょうか。
「栄光を受ける」という言葉を聞くと、一般的な成功体験、名誉や利益を受ける姿を想像してしまいがちです。しかし主イエスが歩まれたのはそれとは正反対のものであり、およそもっとも困難で痛みに満ちた道のりを辿っていかれました。しかしこの主の受難の出来事において神は独り子を通してご自身の栄光を現されるのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(3・16)との言葉が真実のものであり、人々に対する神の愛がここにおいて示されることを私たちは知らされます。
語る言葉への無理解に基づく応答を受けつつも、イエスは人々に勧めます。「光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」と。ヨハネ福音書の冒頭から印象的に用いられる闇と光の対比の中で語られる主イエスの言葉を聞き、私たちはこの主にいかに従っていくのでしょうか。              「礼拝と音楽」より

週    句

人の子は、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た。
マタイによる福音書20:28


2020.03.30(日)の礼拝の週報

13│2020年03月22日 降誕3 香油を注がれた主

週    句

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネによる福音書12:24
説  教  「香油を注がれた主」   :大森章弘

香油を注がれた主
サム上9:27~10:1,6~7、Ⅱコリ1:15~22、ヨハ12:1~8、詩2:1?12。

イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。
私の葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」
ヨハネによる福音書12:7

1リトラ(326g)が300日分の労働対価と同じ価値がある!マリアはこの高価極まりない香油を惜しげもなくイエスの足に塗り、自分の髪で足を拭います。
マルタの妹とされるマリアは活動的な姉と比較され、内向的でつつましやかなイメージが一般的に抱かれてきたことでしょう。E.モルトマン=ヴェンデルはこのマリアの「観想的」な姿が「あらゆる時代のひそかな女性理想像」とされてきたと批判的に考察しています。それは男性中心の価値観と、それによって形成され、女性たちに押しつけられてきた理想像であります。しかしマリアはそのような押しつけられたイメージを打ち破るのです。周囲があっと驚く形で。イエスへの尊敬、愛を表していきました。それはマリアにとっての「革命」でありました。
イエスは一人の女性が旧来のイメージを打ち破り新しく生きようとする様に対し、「この人のするままにさせておきなさい」とマリアのありのままの行いを受け止められるのです。自分らしく主イエスに従おうとするマリアに対して、あなたがあなたであるためにと、その姿を受け止める主イエス。この方こそ神の子であり、すべての人を救うメシア(=キリスト)であり、この方と出会うことを通して、私たちは様々な囚われからの解放を経験していくのです。        「礼拝と音楽」より

2020.03.25(日)の礼拝の週報

12│2020年03月15日 降誕4 受難の告知

週    句

鋤に手をかけてから後ろを顧みるものは、神の国にふさわしくない。
ルカによる福音書9:62
説  教  「伝承からの解放」    :佐野清文

受難の予告
ヨシュ24:14~24、ガラ2:11~21、ヨハ6:60~71、詩90:1~12。

63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
ヨハネによる福音書6:63

信仰が揺らぐということ、誰もが少なからず経験することでしょう。そのきっかけは多様です。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と、イエスの元から多くの弟子たちが離れ去っていきました。この箇所の直前で、しるしとしての天からのパンを求めた人々に対して、イエスは「わたしが命のパンである」と宣言されました。人々にとっては「思てたんとちがう」答えだったのでしょう。思い描いていたメシア像とは随分と異なっていた、これは人々にとって大きな躓きのきっかけだったことを想像します。しかし、イエスはその身をパンとして人々に与えられ、生ける者としてくださる方であるということが聖書を通して明らかにされています。
福音書の御言葉の最後では「その中の一人は悪魔だ」と、イスカリオテのユダがイエスを裏切ることを不気味な響きの言葉をもって予告されていますが、多くの弟子たちの離反に続いてイエスは残った弟子たちに語りかけます。「あなたがたも離れていきたいか」と。
その身を裂かれることさえ厭わず、歩みを進められるイエス。このイエスをわたしたちのために与えられた神の業と神の愛に触れた私たちはいかに応答するのでしょうか。
礼拝と音楽」より

週    句

鋤に手をかけてから後ろを顧みるものは、神の国にふさわしくない。
ルカによる福音書9:62


2020.03.17(日)の礼拝の週報

11│2020年03月08日 降誕5 メシアへの信仰

週    句

キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマ人への手紙5:8
説  教  「網を降ろして漁をしなさい」:西原 寿

メシアへの信仰
列王下6:8~17、エフェソ5:6~14、ヨハ9:13~41、詩18:26~35。
ヨハネによる福音書9:39
39イエスは言われた。「私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えないものは見えるようになり、見えるものは見えないようになる。」

名前さえも記されない目が不自由であった一人の人。「生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか」。弟子たちのあまりに無神経な問いですが、おそらくこれまでの人生で何度もこのような言葉を投げかけられ傷ついてきたことでしょう。しかしイエスは「罪」の故であるというような視線をこの人に投げかけません。「神の業がこの人に現れるため」というイエスの言葉は、「何かがあったはずだ」という過去への関心ではなく、現在から未来への関心、新しい人生の道が開けていくというようにという視点の転換をもたらすものとして語られていきます。
こうしてイエスの癒しを受け、この人は変えられていくのですが、彼には別の過酷な歩みが待ち構えています。この出来事をよく思わない人々によって両親との関係は壊され、さらには詰問され追放という憂き目にも遭わされていくのです。この迫害の様はヨハネの時代の教会の状況にもなぞらえても言われていますが、凝り固まった価値観から脱却しない人々の偏狭な姿勢は、今日の世界の状況(当然教会も!)や現実を浮き彫りにしているようでもあります。
しかしこの人は怯まず、宗教指導者たちにかえって教える言葉さえ語るのです。一人の人が癒される出来事そのものもそうですが、イエスに出会ったというこのことが、癒しを越えて人が変えられていく、そして「主よ、信じます」との信仰が告白されていく様に、わたしたちはもう一つの奇跡をみるのではないでしょうか。「礼拝と音楽」より

2020.03.08(日)の礼拝の週報

10│2020年03月01日 降誕6 荒れ野の誘惑

週    句

悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子が現れたのです。
Ⅰヨハネの手紙 3:8b
説  教  「イエスさまもまた試みを受けられた」:井東 元

荒れ野の誘惑
出エジプト17:3~7、ヘブ4:12~16、マタ4:1~11、詩91:1~13。

マタイによる福音書4:4
4イエスはお応えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

信仰の歩みとは、この世の誘惑や試みから遠ざけられたところに身を置くとか、神がそれらをすべて遠ざけてくださるという事を意味しません。むしろ、神の御前に自らの弱さに幾度となく気づかされ、うち砕かれ、悔い改めて新たに歩み出そうとすることの繰り返しと言えます。その意味では「自分は大丈夫」と自信満々に生きるのではなく、誘惑渦巻く世にあっていかに主を愛し、主に仕え生きるのかという問いの繰り返しの中で生きるということでしょう。
荒れ野で出エジプトの民がことあるごとに不平をぶちまけたように、私たちの信仰はいとも簡単に揺らぎ、心が神から離れさえします。しかし、誘惑を受けられた主イエスが共に歩んでくださるとの知らせの中で、私たちの歩みはたどたどしいながらも確かにされていきます。そして主が誘惑の言葉を退けられた際に聖書の引用をされたことから、日々聖書の御言葉に聞く者としての私たちの歩みが整えられていくのではないでしょうか。
あわせて、この日本の1年の歩みを振り返り、十戒第一戒の言葉が問うことの意味も考え、神でないものを神とする動きに抗い、「ただ主に仕える」キリスト者としての歩みを心するものでありたいと思います。                    「礼拝と音楽」より

2020.03.08(日)の礼拝の週報

09│2020年02月23日 降誕7 奇跡を行うキリスト

週    句

今、わたしたちはエルサレムに上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
ルカによる福音書 18:31
説  教  「奇跡を行うキリスト」    :鳥井正也

申命8:1~6、フィリピ4:10~20、ヨハ6:1~15、詩95:1~11。

ヨハネによる福音書6:11
さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。

灰の水曜日から私たちはレントの時を迎えていきます。この期間は長い間、洗礼志願者の準備の期間と捉えてこられ、また「キリスト教会にとってキリストの受難を記念する悔い改めの時」とされてきました(『キリスト教礼拝・礼拝学事典』)。人のおごり高ぶりが打ち砕かれ、真の悔い改めのうちに、キリストに従い行くものとしての姿、歩みを確かめていく。御自ら十字架を担い、苦難の道を歩まれたキリストの姿と出来事を心に刻み付けていく。そのような時を過ごしていきます。
「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました」(Ⅱコリント5:18)。十字架の主が私たちに歩むべき道を示され、「私に従いなさい」と招いてくださっている。その招きを受け悔い改め、新たにされながら歩んでいきたい。
「礼拝と音楽」より

2020.02.24(日)の礼拝の週報

08│2020年02月16日 降誕8 癒すキリスト

週    句

今日、あなたたちが神の声を聞くなら、心をかたくなにしてはならない。
へブル人への手紙3:5
説  教  「掘り出された岩穴」     :梶井義郎

癒すキリスト
ヨブ23:1~10、ヤコブ1:2~5、ヨハ5:1~18、詩32:1~17。

2020.02.16(日)の礼拝の週報

07│2020年02月09日 降誕7 教えるキリスト

週    句

わたしたちは、あなたの深い憐みのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。
ダニエル書 9:18
説  教  「共にいてくださる」     :梅田寿子

教えるキリスト
ヨブ22:11~28、Ⅱヨハ1~13、ヨハ8:21~36、詩125:1~5。

2020.02.09(日)の礼拝の週報

06│2020年02月02日 降誕6 新しい神殿

週    句

あなたの上には、主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。
イザヤ書 60:2
説  教  「新しい神殿」         :梅田寿子

新しい神殿
列上8:22~30、コリ3:10~17、ヨハ2:13~25、詩48:9~15。

2020.02.09(日)の礼拝の週報